今日は歴史上、大変な日になりました。正直、ここまで大きな地震というのは経験したことがありませんでした。神奈川県でこれほどだから、震源地近くの人のことを考えると非常に胸が痛いです。
地震の後、会社の近辺は停電してしまい、機械式駐車場に駐車していたため車を出すことができなくなってしまい、また京急も停電のため運行していない。さよのほうも首都圏の交通は完全に麻痺していて身動きができない状態。更に電話も繋がらない状態で時間だけが過ぎていく。
ようやくさよに連絡が取れて無事なのを確認できて一安心。保育園にも連絡ができて園長先生が迎えに来るまでは遅くなっても預かってくれるとのこと。一刻も早く迎えに行きたかったのだけど、停電が復旧しないことには車でも電車でも動けない。しかも高速道路や国道は大渋滞しているとの情報も。。。
21時30分には会社の予備バッテリも切れてしまい完全に停電してしまうとのこと。でも幸いなことに渋滞は緩和されてきたようなので、何人かでタクシーに乗って帰ることに。無事に保育園について、2人の元気な姿を見て一安心。しかしさよはやっぱり帰って来れないらしい。。。
【sayo's comment】
神戸の震災よりもすごい揺れました。29Fにいたから、余計に揺れが大きかったのもあると思うけど、最初揺れた時は、まだ笑えてたけど、おさまって1分弱でまた次の揺れが来た時には、みんな一斉にヘルメットをかぶって机の下に潜り込みました。だけど、揺れはどんどん大きくなって、机の引き出しががたーんごとーんと揺れに合わせて出たり入ったり。
机の上のものががしゃーんと大きな音を立てたと思ったら、シュレッダーが滑るように動き出して・・・・・。またしばらくして収まったと思ったら、次の揺れが・・・・。
とても長く感じて、おまけに地震がおさまっても、ビル自体がゆらーゆらーってしているみたいで・・・・。そのうち気持ち悪くなりました。
その後はいまいちよく覚えてないのだけど、ふつーに仕事してる時もあったけど、地震災害対策本部結成しますというビルのアナウンスが流れて、次長が、安否確認出来ていない人の名前をホワイトボートに各チームごとで確認して書いてください。って指示を出してるのを見て、練習じゃないんだ。現実なんだって思うと怖くなりました。
うちの部署は営業班(1班から3班まで)と外資系チーム、情報班、アドバイザリーチームと大きく分けて4つのチームがあるんだけど、同じ29Fフロアでも営業班と外資系チームは日比谷公園側。アドバイザリーチームと情報班は新橋側と別れていて、あとで聞いたところによると、アドバイザリーチームと情報班のほとんどが、1回目の揺れでみんな階段で下まで降りて日比谷公園まで逃げていたらしい。
情報班とアドバイザリーチームの半分は中国人、韓国人、台湾人、ベトナム人、アメリカ人と外国人で残りの半分くらいが日本人なんだけど、中国人が一番逃げ足が速かったらしい。
それに比べて、日比谷公園側の営業班と外資系チームは次長の指示に従ってた。やっぱり日本人は真面目だねってあとから笑い話になるほど。一部営業班のチームリーダーが1人の部下を連れて、「にげろーーーー!!」と言いながら日比谷公園まで行ってたけど。
しばらくは笑い話をしたりしてたけど、そのうち外は暗くなる一方で、首都圏の電車はすべて止まったままだし、ワンセグでTVを見てる人から、すごい津波が来て流されているとか。
ふと神戸の震災の時、電車が全然動かなかったこととか思い出しで、今日は帰れないだろうな。って思ってたころにのぶくんから電話が。
とりあえず無事を確認して、保育園にも電話してくれるというので、安心してのぶくんに任せました。
でも二人とも帰れなかったらベビーたちそのまま保育園で寝ることになるのかな。と思うとかわいそうだし・・・・。そんなことばかり考えてたら、のぶくんがタクシーで何とか帰れる。お迎えも行くってことでひとまず安心。
そしてさよは会社に泊まることにしました。
中途半端に外に出ても、途中でトイレに行きたくなってもすぐに見つからないかもだし、また余震が来るかもだし。何かあって通勤途中で連絡つかない状況より、安全な会社にいた方がいいという判断で。
結局余震が続き、揺れで気持ち悪くて全然眠れなかったけど、朝5時半まで会社にいました。
家に着いたのが8時過ぎ。
電車に乗っている途中でも緊急地震速報のメールが来るたびに電車は止まるし、朝になっているのにやっぱり同じように帰宅難民になっている人たちがホームにも電車にもあふれていて、ありえない状況だった。